【第4話】 生まれて初めて「外国人」になった日

翌年3月下旬の早朝。

私は外交官試験以来ともいえる緊張感に包まれながら、両親と妹に見送られ、大きなトランクひとつで成田空港へ向かった。

大学卒業までずっと実家暮らしだった私にとって、親元を離れて暮らすのもこれが初めてだった。海外へ行くこと以上に、

その事実のインパクトが大きかったかもしれない。

成田空港の出発ロビーで、この年の参加メンバーと初めて顔を合わせた。出身地も年齢も参加理由もさまざま。

それでも、「みんなで頑張ろうね!」という、妙な連帯感だけはすぐに
生まれた。私たちを乗せた飛行機は、シンガポール経由で一路、メルボルンへ向けて飛び立った。

当時、成田(羽田は国内線専用だった)からメルボルンまでは
途中シンガポールを経由して、ほぼまる一日の長旅。
今の50代の私なら途中で完全にグロッキーだろう。
しかし当時は20代前半。気力も体力も有り余っていた。
とにかく旅が楽しくて仕方なかった。
今振り返ると、ほとんど海外旅行気分である。

メルボルンのタラマリン国際空港へ到着したのは確か
昼間だったと思うが、入国審査を済ませて出てきた到着ロビーでは
受入れ団体の現地オフィス代表の方々があたたかく出迎えてくださった。
お年の頃は、当時おそらく30代後半~40代はじめぐらい、メガネにボブヘアのすらりとした知的な女性**Maggie(マギー)と、もう一人は代表と同世代ぐらいの、恰幅の良いパーマヘアの女性スタッフの**Susie(スージー)、ひょろりとした日本人男性スタッフ**宗方さんのお三方であった記憶がある。

我々一行はさっそく、用意されたワンボックスカーに乗り込み、メルボルン市内にある各自のホストファミリー宅へ向かった。

この時、早速私は車中で、強烈な言葉の洗礼を浴びることになる。
しかも、英語ではなく、私の日本語の使い方について・・・

私は、例の恰幅のよい女性スタッフのSusieと話し込んでいた。とはいっても、がっつり日本語で(笑)。
Susieのご主人は日本人であり、当然彼女も日本語がペラペラ。
新婚時代を日本で過ごしており、そのころの思い出話で盛り上がっていた。

ところが、何かの話の拍子に、確か私が
「そうですよねぇ、まだ日本で暮らす外人は珍しいから(今の日本の若者からすれば、今の外国人だらけの日本の姿からは想像もできないだろう)・・・」というセリフを何気なく発したその時である。

それまで穏やかだったSusieの表情がいきなり曇り、眉をひそめた怪訝そうな表情で私に向かって、「”外人(ガイジン)”という言い方は、とても失礼です。私はその言葉づかいだけは絶対にやめて!」と言い放ったのである。

だって、日本に暮らす日本人からすれば、当時の私も含め、
この「外人(がいじん)、外人さん」という言い方はごく普通の話し言葉ですが??
もちろん、私の両親と祖父母、近所の大人たち、学生時代の友人たちも、皆一様に、ごく普通に使っていますよ??

私はSusieの豹変ぶりに固まってしまい、え・・・私、何か言っちゃいけないこと、言いました???と、真っ白になった頭の中で、分からない原因について、一生懸命考えたが、やはり、分からない。

「え・・と・・・あの、私、Susieさんに失礼なことを言ってしまったのですか?」と、思い切って問い返すと、彼女は、ご主人とともに日本の地方で暮らしていた当時、もちろん、周りの方々からは、とても親切にしていただいたが、ある時、ごく一部の近所の住人から、この”ガイジン”という言葉とともに、相当な差別的な言葉を浴びせられ、それが今でも拭いがたいトラウマになっているのだという。

Susieは曇り顔のまま、
「そう。だから、私の前では、二度と ”ガイジン”という言葉は使わないでね。正しくは、”外国人(がいこくじん)”、もしくは外国の方、というべきでしょう。”ガイジン”という呼び方は、少なくとも私にとっては、ひどい差別言葉、とても失礼。今、この国では、あなた方が”外国人”よね。でも、私はあなた方のことを、決して”ガイジン”とは呼ばないわ。あなた方は、今日から、私たちの大事なゲストであり、友人になったのだから。」

そんな衝撃のお説教の後、彼女はまた、もとのお茶目なスーさんに戻ったのだった。
私は海外旅行は初めてではなかったが、旅行者ではなく、暮らす立場として異国へやってきたのは、この時が生まれて初めて。
そのため、無意識に心が張り詰めていたのかもしれない。

多分、そんな状態で、Susieのあまりに ”直球な” 物言いをいきなり受け、
雷に打たれたようなショックを受け(日本人同士の会話だと、こうした場合にも、ここまで直球表現はしない方が多いでしょう)、どう返してよいか
わからず、そのままホストファミリー宅へ到着するまでの間、
半分涙ぐんで黙り込んでしまったままだった。

あれからほぼ30年。海外暮らしも同年数に達し、
すっかりベテラン「外国人」となった現在でもなお、
私は日本語での会話の際、相手が日本人であろうが、
日本語話者である外国人であろうが、
絶対に「ガイジン」という言葉を使わない、いや、使えないのは
あの時のSusieの強烈な先制パンチを喰らったことが遠因であることは間違いない。

今でも、ニュースなどでの街頭インタビューを見たり、日本での
一時帰国滞在の際、周囲の日本の皆さんは、普通にこの「ガイジン」を
連発しているが、今ではこの呼び方に違和感を感じる自分がいる。
Susieは今、お元気にされているだろうか。

我々一行を乗せたワンボックスカーは、空港からの道中、ひとり、またひとりと、参加メンバーをそれぞれのホストファミリー宅で下ろしていった。

今振り返ると、あの日の経験は現在に繋がる暮らし、仕事、人生観の塗り替え・・・全ての原点だったように思う。

ベトナムでも、マレーシアでも、現在のフィリピンでも、私は常に外国人。

でも、マイノリティであることの経験を重ねるうち、「違うこと」や少数派であることは、必ずしも不利ではない、

肩身の狭いことばかりではない、と思えるようになった。

あの日の私は、自分が日本人のひとりであることしか知らなかった。

けれど、異国の地で過ごしてきた30年近い年月は、「日本人である私」と「外国人として生きる私」の両方を少しずつ受け入れる時間だったのかもしれない。

**文中に登場する人物名は全て仮名です。**

(次回は、いよいよ現地修行の始まり、はじめの一歩へと続きます)

 

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