ケリーから、日本の高校で英語を教えるため、8月に岡山へ旅立つことを告げられた翌朝。
まだ衝撃から立ち直りきれていない私に、彼女はまたしても思いがけない予定を告げてきた。
「おはよう、Nao。突然だけれど、来週末は泊まりがけの旅行支度をしておいてね」
「旅行支度?」
「9年生のExcursion(遠足)の引率で、メルボルンへ行くことになっているの。今回のメインイベントとして、あの子たちにSumoを見せてあげたくて。もうチケットは予約してあるわ!」
ここのところ、私はケリーに驚かされてばかりな気がする。
スモウって――。
あの、大相撲かーい!?😮
相撲とは、日本の夕方にNHKのテレビ画面を通して見るもの。
そんな私の固定観念は、この瞬間、音を立てて崩れ去った。
まさかオーストラリアで、それも生徒たちの遠足の引率として、大相撲を観戦する日が来ようとは。
“相撲ギャル”が日本を席巻していた時代
1990年代の日本では、空前ともいえる大相撲ブームが巻き起こっていた。
若花田と貴花田の兄弟、後の若乃花と貴乃花を中心とした、いわゆる「若貴ブーム」。そこへ曙、小錦、武蔵丸らハワイ出身力士が加わり、土俵の上では連日、華やかで迫力ある取組が繰り広げられていた。
それまで中高年の娯楽という印象も強かった大相撲に、若い女性ファンが一気になだれ込み、「相撲ギャル」という言葉まで世間をにぎわせていた時代である。
私自身は、熱狂的な“相撲ギャル”と呼べるほどではなかったが、強いて推しを挙げるなら、寺尾関だった。
細身ながらも鍛え上げられた体、きりりとした顔立ち、鋭い突っ張り。
後に錣山親方として後進の育成に尽力され、2023年に惜しくも60歳の若さで亡くなられた、あの寺尾関である。
ひょっとすると、そんな憧れの力士に、異国のメルボルンで会えるかもしれない!
あわよくば、サインや握手まで 😍――。
そんな淡い期待に胸を躍らせながら、私は次の一週間を乗り切った。
9年生とマイクロバスでメルボルンへ
そして迎えた金曜日の朝。
私たちはチャーターしたマイクロバスに乗り込み、午前7時頃、スワンヒルを出発した。
同行するのは、ケリーと9年生の生徒たち。
まだ眠気の残る時間だというのに、車内では早くも笑い声が飛び交い、生徒たちは遠足気分全開である。
その輪の中には、いつもの教室ではクールな表情のケリーの姿もあった。
そんな彼女が、生徒たちと冗談を言い合い、一緒になって大笑いし、いつになく楽しそうにはしゃいでいる。
スワンヒル駅で初めて会った日から、隙のない“鬼教官”という印象ばかりが先に立っていた私にとって、それは初めて目にする彼女の別の顔だった。
――この人、こんなふうに笑うんだ。
私は少し意外に思いながらも、その光景を微笑ましく眺めていた。
ちなみに、仕事さえ絡まなければ、世の中の「苦手な人」という存在の7~8割は消えていなくなる。
これは、あれから30年あまりが過ぎた今も変わらない、私の持論である。
最初の訪問先は、日本文化を紹介する施設
メルボルンに到着したのは、午前10時半頃だったと記憶している。
大喜びでバスから飛び出していく生徒たちを追いかけながら、私たちが最初に向かったのは、日本文化を紹介する施設だった。
おそらく在メルボルン日本国総領事館に関係する文化センターのような場所だったと思う。
そこで生徒たちは、服の上から浴衣を羽織り、色鮮やかな花笠をかぶって記念撮影。
慣れない衣装を身につけ、互いの姿を見て笑い合う子どもたちの表情は、実に楽しそうだった。
相撲観戦を目的とした今回のエクスカーションは、まず日本文化に親しむところから始まったのである。
メルボルン市内の日本文化センターでのひとコマ。愛らしい”コケシ”と”エセ空手Kid”たちと(笑)
メルボルン大丸で、しばしの自由時間
文化体験を終えると、次に向かったのは、当時メルボルン・セントラル内にあった大丸百貨店だった。
ここでランチを兼ね、集合時間と場所を決めたうえで、しばしの自由行動となった。
生徒たちの中には、メルボルン中心部を訪れること自体が初めての子もいた。
スワンヒルとはまるで違う、大都会の華やかなショッピングセンター。目を輝かせながら店内を駆け回る彼らを見ていると、連れてきてあげられて本当によかったと思わずにはいられなかった。
かくいう私も、モーガン家の愛馬ジャックのハーネスレースを見に来て以来、久しぶりのCityである。
事前研修の日々を思い出しながら、都会のにぎわいを存分に楽しんだ。
当時はあった大丸百貨店モールで、ケリー先生を囲んで全員集合
一方、ケリー先生はというと――。
「ねえ、Nao。ランチの前に、私、ちょっと家電店へ行ってくるから待っていて。夕べ、シャワーのあとにドライヤーのスイッチを入れたら、火を噴いちゃったのよ!」
髪の毛に引火して鬼から山姥にならず幸いだったではないか(コラコラ)……😅
仕事から離れてみれば、彼女も私と一歳しか違わない、20代前半の若い女性である。
生徒たちと一緒にはしゃぐ姿といい、突然壊れたドライヤーを買い替えに走る姿といい、いつもの鬼教官とは違う“女子的”な一面を次々と目にした。
私にとっても、ある意味では貴重な旅路だった。
いざ、メルボルン・パークへ
昼食と自由時間を終え、私たちは宿泊先のホテルへチェックイン、しばし休憩のあと、午後4時を回った頃、再び一行で出発した。
向かったのは、全豪オープンの開催地として知られるメルボルン・パーク。
1997年の大相撲オーストラリア公演は、日本とオーストラリアの通商100周年を記念し、6月6日と7日にメルボルン・パークで開催された。その翌週には、シドニーでも公演が行われている。
巨大な屋内アリーナへ入り、私の期待は最高潮に達していた。
さあ、目指すは憧れの寺尾関。
会場のどこかに、あのお姿があるはず――。
ところが、いくら目を凝らしても、お目当ての寺尾関は見当たらない。
後から知ったことだが、寺尾関は同年3月場所で足の親指を骨折して休場しており、今回のオーストラリア遠征にも参加していなかった。
インターネットで何でも瞬時に検索できる現在とは時代がちがう。3月場所を見ることなく日本を離れていた私には、そんな事情を知る由もなかった。会えるはずもない人を、私は異国のアリーナで一生懸命探していたわけだ・・・
思いがけない人気力士との遭遇
お目当ての寺尾関に会えず、少し残念に思っていた私に、予想外の幸運が訪れた。
数人の生徒たちと会場内をウロウロしていると、日本から来たテレビ番組のスタッフとともに、何やら撮影へ参加している一人の力士を偶然見つけたのである。
なんと、旭鷲山関だった!
旭鷲山関といえば、当時、モンゴル出身力士の草分け的存在として注目を集めていた人気力士のひとりである。
「ねえ、みんな、こっちへおいで! すごいチャンスよ。彼は有名な力士なの!」
私は慌てて生徒たちを呼び集めると、撮影現場へ向かって突進。
「すみませーん! 私たち、地方の学校から見学に来た者なんですが、一緒に写真を撮らせていただいてもよろしいですか?」
傍らにいた付き人の方からは怪訝そうに、「時間が押しているから、早めにね」と声がかかった。
しかし旭鷲山関ご本人は、「ああ、どうぞどうぞ」と、にこやかに撮影へ応じてくださった。
寺尾関には会えなかったものの、これはこれで、まったく予想していなかった嬉しい収穫。
生徒たちと旭鷲山関を囲んで撮った一枚は、今も大切な思い出として手元に残っている。
元祖モンゴル出身力士といえば、この方、旭鷲山関との貴重なショット!
テレビの中の力士たちが、目の前に
やがて、いよいよ取組が始まった。
横綱・曙と貴乃花、大関・武蔵丸と貴ノ浪をはじめ、小錦、舞の海、出島、琴ノ若など、そうそうたる力士たちが土俵上へ姿を現した。
テレビ画面越しにその姿を仰ぎ見るだけだった彼らが、今、ほんの数十メートル先にいる。
しかも、ここはオーストラリア!
その不思議な光景に、私自身もすっかり興奮してしまった。
現地の子どもたちを相手にした微笑ましい取組では、会場いっぱいに笑い声が広がった。
そして、本職の力士同士による取組が始まると、空気は一変。
大きな体が真正面からぶつかり合う音と迫力に、生徒たちも大興奮だった。
日本語を学んでいる彼らにとって、相撲は教科書の中に登場する遠い異文化ではなく、目の前で音を立て、動き、ぶつかり合う、生きた日本文化となったのである。
メルボルン公演がいよいよ開幕。土俵上で挨拶しているのは、元横綱・佐田の山だった当時の境川理事長
生の力士たちの取り組みの迫力は遠くアリーナ席にも十分伝わってきました
現地のちびっ子力士たちとの微笑ましい取り組みに、日豪双方の観衆からも楽しそうな笑い声が
ケリーが生徒たちへ残したかったもの
もう間もなく、M校を離れ、日本へ向かうケリー。
彼女がこのエクスカーションを企画した背景には、自分がこれから暮らす日本への期待と、かわいい教え子たちとの思い出を少しでも多く残したいという気持ちがあったのだろう。
教室では厳しく、生徒にも私にも妥協を許さない先生だった。
しかし、この旅で目にしたのは、生徒たちと一緒になって笑い、彼らが楽しむ姿を心から喜ぶ、優しいお姉さんのような姿。
仕事という枠から少し離れただけで、人の見え方はこれほど変わるものなのか。
私が彼女に対して抱いていた苦手意識も、この週末を境に、ほんの少し形を変えたような気がする。
生徒たちにとっても、ケリーにとっても、そして私にとっても、生涯忘れられないメルボルンへの旅となった。
大相撲をメインイベントに据えた、彼女の粋な計らいには、今も感謝している。
そして、この旅からスワンヒルへ戻った翌日。
今度はモーガン邸に、ケリーと5軒すべてのホストファミリーが集まり、心温まるパーティーが催されたのだった。
(次回に続く)

