【第6話】 優しい“家族”との別れ、友の涙

~トルコの家庭料理の匂いと、友との友情に心温まった4週間 ~

アフターファイブのメルボルン探検に血道を上げる、懲りない私ではあったが、名門ラ・トローブ大学傘下のESLという、恵まれた環境にいながら、文法試験追試などという体たらくを招いてしまった、情けないワタクシ。
本来の目的であるインターン活動の成功と、何より今は本分である、英語研修という目下修行中であることを忘れてはいけない。

ホストファミリーは、選べない

2週目の終わりにさしかかったある日の朝、同じロールプレイ・グループのひとり、多江子ちゃんの姿がない。

その日、私が急遽代行を務めたものの、ボーイッシュで元気な彼女が、前日から顔色があまり良くなかったのが気になっていた。
体調が悪いのかな?と心配していたところ、受入れ団体マネージャーのMaggieから、Taekoは急遽、ホストファミリー交代で、2日間研修を欠席するとの連絡が入った。

決して良い知らせではないことを、日本からの参加仲間一同は瞬時に悟った。

多江子ちゃんの仲良しである美香ちゃんによると、最初に当たったステイ先で、初日にホストマザーから言い渡された3原則があったらしい。
①帰宅門限17時ジャスト(放課後のメルボルン探索に一度も来なかったわけだ)
② 門限に遅れたら夕食抜き。しかも毎日出される夕食メニューは、テイクアウトのハンバーガーひとつだけなど、栄養状態も劣悪(刑務所??)
③決定打:多江子ちゃんだけが、シャワーの使用時間3分(インスタント・ラーメンかよ!)→ これ、フィクションではなく、私が今でも鮮明に記憶している衝撃的な事実です。

最初の2週間、それをずっと黙って耐え忍んでいた彼女があまりに痛々しかった。その場で理由を知った誰もが無言で固まった。そして、思い知ったのだった。自分たちがどれだけ運が良かったかを。

さらに衝撃だったのは、似たようなハズレくじに当たったメンバーが他にも数人おり、やはり急遽ステイ先変更を余儀なくされたという事実・・・然るべきエージェント経由でのホスト先アサインだったとしても、ロシアン・ルーレットはありうる、というリスクを忘れてはいけない。

3週目の週明け、元気に登校してきた多江子ちゃん。
「もう~~、2週間長かった~、ホンマ、とんでもない目に会わされたわ~!みんな安心して、今度はまともな、優しいファミリーやった!」

ようやく多江子ちゃんも揃った、その日の放課後、South Yarraのビストロにみんなで集合して“慰労会”を開催。

ギネス・ビールを片手に神戸出身の関西弁で、これまでの気苦労を切々と語る彼女に「そりゃ、ヒドイよ!立派ないじめだよねーーー!」と誰もが同調。再来週からの活動本拠地では、多江子ちゃんはじめ、皆が“当たりくじ”を引けるよう祈らずにはいられなかった晩だった。

「Hi, dear!」が待つ家

ありがたくも、私には毎日安心して帰れる“家族”がいた。今思い出しても、お世話になった3週間、Komaş (コマシュ) 一家はいつも、私にとっての優しいMummy、Granny (おばあちゃん)、そして可愛い弟たちでいてくれた。

放課後のメルボルン探索はしょっちゅうだったわけではない。そこは、ホストファミリーとのコミュニケーション最優先、マナー厳守です。
平日、帰宅するとEmineとおばあちゃんが、いつものように明るい笑顔でキッチンから「Hi, dear !」と手招きをしてくれたものだ。相変わらずステレオから流れるトルコの民族音楽のリズムに乗って口笛を吹き、小躍りしながら楽しそうに料理をするEmineの姿はよく覚えている。

彼女もフルタイムの仕事を抱えて忙しいはずだったのに、毎日のように食事を作ってくれていたあの姿を思い出すと、今でも頭が下がる。

Emineの手料理の中でも、私の一番のお気に入りは、大ぶりなパプリカの中に米やひき肉、野菜などを詰めて煮込んだ、トルコの家庭料理「ビベル・ドルマス Biber Dolması」。

肉・野菜のシンプルな旨味が、一緒に出されるスープにも溶け込んだ、私にとってのおふくろの味。毎夕、赤い巨大な圧力鍋から漂ってくる、この匂いにホっと心が和んだ。
思い出してみれば、私の中東料理好きの原点は、このオーストラリアから始まっていたのである。

研修から帰宅後、ホストマザー Emineが料理する姿は私にとって、毎日のほっこり風物詩でした☺️

Emineのご指南で、時には筆者もトルコ料理に挑戦!

これが実際のEmineお手製トルコの家庭料理「ビベル・ドルマス Biber Dolması」。とにかく、美味しかった!パプリカやピーマンの中をくり抜き、米・ひき肉・玉ねぎ・トマト・ハーブ類を詰め込んで、じっくり煮込みます。トルコ語で「ドルマ(dolma)」は、野菜などに具を“詰めた料理”の総称なのだそう。😋

カウンター席に座り、ホカホカの出来立てに舌鼓を打ちながら、今日の授業の様子などをEmineに話す。
英語にまつわる悩みごとを切々と語る私に、「You’re already doing so well! I really enjoy our conversations!  もう、あなた立派にお話しできているじゃないの!私、あなたとのお話が、とても楽しいわ!」と真顔で返す彼女の目に偽りはない。それがどれほど私の自信に繋がっていったか。
そのころを境に、私のボキャブラリーは加速度的に増えていき、ネイティブ独特(オーストラリア英語、いわゆるAussie Englishも独特だが)の言い回しも難なく理解でき、自分も口をついて自然に出るようになっていた。

時には、高校2年生だった末息子、Sedatの学校の宿題にもお付き合いする私の姿を、Emineが首を縦に振りながら、嬉しそうに眺めていたものだ。

コーヒー占いが言い当てたこと

お楽しみは夕食後、お決まりのターキッシュ・コーヒーを飲みながらの、コーヒー占い。
ご存じの方もいると思うが、カップの底に、わずかに溜まったコーヒーかすの流れ方を見て、飲み手の状況をピタリと言い当てる、Emineには霊能力でもあるのかと思いたいぐらい、毎回ほぼ当たっていたのが驚きだった。

ある日のコーヒー占いで、「Naoは日本で猫を飼っているでしょ?その猫ちゃんが、あなたを恋しがっているわよ。」・・・私はそれまで、当時日本の実家で猫を飼っていた話をしたことは一度もなかった。

後日、静岡の実家からのFaxレターで、飼い猫の「ハッピー」が、私が履いていたスリッパから離れない、という便りを受けた時には、絶句したものである。😮

他にも、週末には、決まってEmineと連れ立って、近所のショッピングモールGreensborough Plaza や周辺のショップロットへ出かけたものだ。グリーンズボロー・プラザがすっかり気に入り、研修後の定番寄り道先になったのは、誰あろう、Emineのおかげ。

 

とある週末。Emineと連れ立って、Greenthborough Plaza近くのガーデニング・ショップへお出かけ。

“家族”からの祝福

楽しい時間というのは、いつ何時も、またたく間に過ぎ去ってしまう、と思うのは私だけではないはず。

ESLでの研修修了式翌々日の日曜日、Komaş家とのお別れの日はやって来た。
右も左も分からない、英会話もぎこちない私を、温かく迎えてくれた3週間前の晩と同じく、盛大に私のお別れ会をしてくれた。

違っていたのは、今度は自宅ではなく、トルコ系移民コミュニティーで予約した近所のレストランだったことと、すっかり環境にも馴染み、会話もほぼまともに上達していた私自身だったかもしれない(笑)

お留守番だったおばあちゃん。敬虔なイスラム教徒であり、夕方のお祈り中だった彼女は、パーティーへ出かける前の私の手をやさしく握り、「これから先のあなたの人生、私たちも、アラーの神様も祝福しているよ」(トルコ語しか話せないおばあちゃんのお話を、孫でEmineの次男坊Murat君が英語に通訳してくれました)・・・もうね、この時のことを思い出すと、今でも目が潤む私です。

Komaş家の”娘”として過ごす最後の週末。トルコ系移民のコミュニティーで、筆者の送別会もかねたディナー・パーティーでのひとコマ。見よう見まねで民族舞踊にTry!

パーティーでのEmineと次男のMurat。面差しもそっくり、素敵な仲良し親子でした。

この日お留守番だった末っ子のSedat。学校の宿題は、よくお手伝いさせてもらいました (笑)

メルボルン最後の5日間

翌週の朝、受入れ団体からの車に乗り込み、後ろ髪を引かれるようにKomaş家を後にした私が向かった先は、メルボルン市内の閑静な住宅街にあるフラット(集合住宅)だった。

笑いあり、悩みあり・・・3週間の英語研修修了式の様子です。手前最前列、右から3番目が筆者。筆者の斜め右上が、そうです・・・あの「ガイジン」物議のSusie女史。お茶目で頼りになる、とっても良い方でしたよ~!

参加仲間たちと一緒に過ごせる最後の1週間。毎晩のように合宿所は女子会状態(笑) 楽しかったなぁ・・・

 

事前研修も大詰めとなる最後の5日間、今度は研修仲間たちとの合宿が始まった。フラットからほど近い小学校の一部設備を借り、日本語授業のアシスタントとしての振る舞い方など、実践に向けた仕上げの特訓を受けた。

場所はシティ中心部。この5日間の放課後は連日、もはや門限も気にすることなく、いつものメンバー ―― 正子さん、知子さん、千枝子さん、美由紀さん、私 ―― の仲良し女子5人組で、残された一緒にいられる時間を惜しむように、あちこちに繰り出しまくった。
3月下旬、成田空港で初めて顔を合わせ、ぎこちなく挨拶を交わしたあの日からひと月も経たぬ間に、私たちの間には、姉妹のような団結力と友情が芽生えていた。

正子さんと知子さんは同い年で、私よりもちょっとだけお姉さん、千枝子さんと美由紀さんは当時すでに30歳前後だったはず。5人の中で最年少だった私にとって、安心して甘えられる、落ち着いた大人の女性だった。

メルボルンで一緒に過ごした最後の1週間。とある日の晩、South Yarraのお洒落なビストロで、楽しい女子トークのひとときを。左から筆者、知子さん、正子さん、美由紀さん、千枝子さん

同じくCity中心部を散策中のひとコマ。知子さんとツーショット。

 

参加仲間36人、それぞれの新天地へ

いよいよ事前研修最終日、施設の体育館を貸切り、参加メンバーが思い思いに日本から持ち寄った、日本文化紹介の発表会が行われた。
各自全てのチェックアウト荷物を運びこんで。
そう、この発表会直後に、我々一行36名は、それぞれの活動本拠地へ向けて散会、今度こそ散り散りに。9カ月の活動終了後は個人単位での帰国となる。

私はVictoria (ビクトリア) 州北西部の町Swan Hillへ(スワンヒル)へ、千枝子さんは同州内北東部の町Wangarattaへ、正子さんは唯一メルボルン市内近郊へ残り、知子さんはTasmania(タスマニア)島へ、5人組最年長の美由紀さんは首都Canberra (キャンベラ)へ、5人組以外の仲良しのひとり、あの多江子ちゃんは、大陸最北部のQueensland (クイーンズランド) へ。

お互いに何百キロも、あるいは大陸の反対側へと離れてしまう。今後の活動期間中、スケジュールが合わない限り、これでもうオーストラリア国内で再会できることはない。

 

友の涙に見送られ

今となっては細かい記憶はないが、印象に残っている発表会の思い出は三つ。
ひとつは、全員で5日間特訓した、和太鼓の演奏、二つめは、私の大正琴ソロ演奏 (笑)、そして三つめ。仲良し5人組で、私が最初に出発時刻を迎えたその時、感極まった正子姐さんの涙、涙・・・

「きっと、また会いましょうね!1か月間、ありがとう!!」

片手にトランクを引き、大正琴のキャリーバッグを背負った私はひとり、Spencer Street駅(現在のSouthern Cross駅)のホームに立ち、Swan Hill行の特急を静かに待っていた。

ここから4時間あまり先の目的地では、新しい出会いが待っている。

緊張しつつも、みんなでピタリと息を合わせた思い出の和太鼓演奏。真ん中の中太鼓担当右側が筆者。

筆者の十八番、大正琴のソロ演奏!たしか、「さくらさくら」と2~3曲を披露した記憶があります。この後の活動期間中、仲間たちからの各地へのご招待で、この大正琴が大活躍。

3週間の英語研修、ラスト1週間の合宿と、全ての事前準備を終えました。この撮影直後、私も仲間たちも、それぞれの新天地へ出発!

 

(さて、次回からはいよいよ活動本番!Swan Hill編の始まりです。)

 

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