ボニーと迎えた牧場の朝
翌朝、土曜日ということもあり、目を覚ましたあともしばらくウトウトと微睡んでいた。
前日のメルボルンからの長旅と緊張疲れもあったかもしれないが、オーストラリアへやって来て初めての朝寝坊だったかもしれない。
起きた後、実家ならば寝起きボサボサ頭で、瞼の腫れたむくみ顔のままでも平気でウロウロできるのだが、そこは他人様のお家。
しかも、廊下や洗面所で年頃のお兄さんたちといつ何どきはち合わせするかもしれず、自室のドアを開けた瞬間から私にとってはプライベート皆無のパブリックスペースであった。
時計は8時をまわっていたが、さすがに週末だったのか、広い邸内はシーンと静まり返り、モーガン家の皆さんもまだ起きている気配はない。
ドキドキしながら抜き足差し足で(苦笑) 洗面所にたどり着くと、そそくさと顔を洗ってパパっと身支度を済ませ、また急いで自室へ戻るとホッとひと息😅
と、そこへ、”カリカリカリ…”と小さくドアを引っかく音が。
「ミャ~~」と可愛らしい鳴き声とともに部屋へ飛び込んできたのは、一家で唯一の”女の子”、愛猫のBonny ボニー。日本の実家で飼っていた愛猫の”ハッピー”にそっくりな長毛種の猫ちゃんだった。彼女はピョンとベッドへ登ると、再び丸くなり夢の中へ(笑)
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Morgan家のアイドル、愛猫のBonnyちゃん。日本の実家の愛猫ハッピーを彷彿とさせる、可愛らしいしぐさに癒されっぱなしの筆者でした 😸
ボニーを起こさぬよう、ベッド横のブラインドをそろりと開けると、秋も深まりつつあるスワンヒル(南半球のオーストラリアでは北半球の日本とは季節が真逆)のやわらかな朝日が部屋いっぱいに差し込み、いきなり窓の向こうから、あの東京ドーム一個分強の牧場の光景が目に迫ってきた。
「わぁ!・・・」
おじいちゃんの山小屋の窓から広がる、広大なアルムの景色に感動する『アルプスの少女ハイジ』並みに目がキラキラしている自分の姿を思い起こすと苦笑ものだが、北海道や阿蘇の草千里など以外のどこを見ても狭こい日本、高層ビル群に囲まれたメルボルン都心部のワサワサした環境からいきなりの、コレを見て感動を覚える人は私だけではないはず。
すでにメルボルンでの1か月で、こちらでの暮らし方、現地の人々との接し方にもある程度馴染んできてはいたが、目の前の窓枠の中に収まった一枚の絵のような牧草地をぼーっと眺めつつ、これから始まる、ここスワンヒルでの8カ月に改めて思いを馳せていた。
週明けから始まる学校での活動はどんなだろう?どんな子供たちや先生方が待っているのだろう?・・・緊張気味なやり取りでの初対面から始まった、上司のケリーとも上手くやっていけるといいなぁ、などなど。
Swan Hillは本当に自然豊か。写真は地元Murray川周辺の大好きだった景色。 ちなみに、冒頭サムネの写真は、とある休日の朝、Morgan家の近所をお散歩中の一枚。北海道を思わせる広大な環境で、思わず背伸びをしたくなります。
英語が“暮らしの道具”になった!
9時を過ぎ、部屋の外からファミリーの人たちの話し声が聞こえてきた。いそいそとリビングへ向かうと、やはりまだ寝起きでバスローブ姿のママ、マリアンヌがキッチンでお湯を沸かしており、「Morning, Nao! You’re up early! Did you sleep well? Tea or coffee? Naoおはよう、ずいぶん早起きなのね~!夕べは良く休めたかしら? コーヒーと紅茶、どちらがいい?」と、優しい笑顔と例のまくし立てるような早口英語から一日が始まった。
「Morning, Maryanne. I slept really well, thank you. Coffee, please. It’s so much quieter here than Melbourne—I actually slept in a little this morning! おはよう、マリアンヌ。おかげさまでぐっすりよく眠れましたよ。コーヒーをいただきます。でも、メルボルンと違って、周りがあまりに静かなので、今朝はちょっぴりねぼうしちゃったぐらい。」
Susieから日本語の”ガイジン”談義で説教され、“注射 = Injection”を”Needle(= 縫い針)”と連呼してEmineの失笑を買い、ESLの授業では連日のロールプレイやディクテーションに苦戦していたひと月前の体たらくが、自分でも信じられなかった。
もはや、“留学生の英会話レッスン”ではなく、人と人の日常会話として立派に成り立っていたのである。
これは今でも思うことだが、言語というのは必要に応じて使い分ける、暮らしのツールの一部。自分にとっては受験のための科目ではない。使えてなんぼの道具だ。そんなことを初めて実感したのが、ちょうどこの頃だった。
この牧歌的な田舎町で迎えた秋の日の朝は、驚くほど空気が冷涼で、マリアンヌが手早く入れてくれたインスタントコーヒーの湯気が、起き抜けの身体にやさしく沁みた。
メルボルンのコマシュ家でもそうだったが、モーガン家での朝食もいたってシンプル。2杯目のコーヒーと、マーガリンやピーナッツバター、オーストラリア名物の** Vegemiteベジマイトを塗ったトーストだけ。
日本の実家で子供の頃から母が毎朝用意してくれた、ゆで卵にサラダ、キウイフルーツやグレープフルーツなど各種果物にトースト、といったモーニングセットがどれだけありがたいものであったかを痛感したが、今は他人様のお宅でお世話になっている身の上。ゼイタクは言えない。
だが、ファミリーの皆さんから醸し出される、なんとも穏やかな空気、私のような一外国人の居候へのお気遣いが、なによりの”ご馳走”であり、最高の異文化体験であったことが嬉しかった。
愛馬ジャックと、初めての乗馬
朝昼兼用のブランチを済ませると、パパのジェラルドが息子のブレットとジャロッドを伴って、バックヤードの牧場へ案内してくれた。
そこでご対面したのは、当時の一家の愛馬、Jack ジャック。
焦げ茶色の大柄な体に立派なたてがみをいただいた”若武者”であった。性格はファミリー同様、いたって穏やかな、美しい馬だったことをよく覚えている。
ジェラルドが「Have a ride on Jack? ジャックに乗ってみるかい?」と誘ってくれた。乗馬経験など皆無の私は乗り方すら分からず戸惑ったものの、ジェラルドの支えでようやく跨がれた小柄な私が、ジャックの背から見下ろす牧場の景色はまた一驚!それまで地上から見ていた牧場の景色が、突然ぐるりと一枚の大きな絵になった。
日の光を浴びた緑と薄茶色が混合する牧草地、遠くに見える赤レンガの家、どこまでも高く広がる青空――。ジェラルドが手綱を持ち、ジャックの歩みに合わせてゆっくり揺られながら、新しい場所へやって来たことへの実感が改めて込み上げてきた。
映画のワンシーンのような景色に胸を躍らせる一方、当の私は、ジャックから振り落とされまいと、鞍に必死でしがみついていたのだが😅
Swan Hill到着翌日の週末、Morgan家の愛馬 Jackの背に跨り大はしゃぎ(??)の筆者。左はホストファーザーのJerald。
ちなみに、前回サムネの写真は、別の日、ジャックに繋げた馬車に乗せてもらった思い出の一枚である。
研修先、M校で迎えた初出勤
そんなスワンヒルへ来て初めて過ごした週末も終わり、いよいよこの国へやって来た最大の目的、学校での活動開始の日がやって来た。
1997年4月末。ビクトリア州の学校では、2学期目である、Term 2が始まったばかり。私にとっては、これがオーストラリアで迎える最初の学期だった。
月曜日の朝、ケリーが車でモーガン家まで私を迎えに来てくれ、これから8カ月間の活動拠点となるスワンヒル市内のセカンダリー・スクール、M校へ向かった。おそらく、だいぶ緊張してはいたのだろうが、“初出勤”当日朝の記憶は、ほぼない😅
ホストファミリーからどんなふうに見送られ、車中でケリーとどんな会話を交わしたのかも、読者の皆さんには申し訳ないが、まったく思い出せない。
M校は私が赴いた当時はまだ比較的新しい学校で、その正門をくぐって印象的だったのは、日本の学校につきものの、何階建てもの四角い校舎が見当たらないことだった。赤レンガ平屋造りの建物が、緑色の芝生の中にゆったりと点在している。校舎というより、どこかの大学の地方キャンパスか、カントリーサイドの研修施設のようにも見えた。
ただ、当時の回顧録執筆にあたり、唯一残念なことは、今なら、初めて足を踏み入れた異国の校舎をスマートフォンかデジタルカメラで何枚も撮っていたことだろう。
ところが、フィルムカメラしかなかった当時の私が残したのは、職員室や授業中の写真がわずかに数枚だけ。
インターンとはいえ自分にとっては人生初の「職場」であり、緊張感の方が大きかったうえに、“どうせこれから毎日通う場所なのだから”と、校舎そのものを撮っておこうという発想がなかったのかもしれない。
当日の記憶として残っていることは、ケリーに連れられて、当時の校長であったMichael Harris(マイケル・ハリス)先生(仮名)はじめ、職員室へ出勤してきた他の先生方や事務局のスタッフさんなどへ次々に私の紹介をしてくれたことと、校内の各設備を案内してくれたこと。
全校集会で、にわかヒロインに!
そして、この日の目玉はSchool Assembly、いわゆる全校集会で、全校教職員と生徒たちが一堂に会した講堂での私のスピーチであった。
事前にケリーから依頼されていたので、この日のために、メルボルンを発つ前から和英辞書を片手に草稿を練りに練っていた私。
スワンヒルでの最初の週末、ホストファミリーのマリアンヌとジェラルドに何度も原稿をチェックしてもらって仕上げた渾身の力作原稿を手に、礼拝堂も兼ねた広い講堂の壇上に立った私は、当時緊張していた記憶がないことから、事前に相当な練習をしていたのだと思う。
スピーチついでにアドリブで、日本を発つ際、書家でもあった父から学校へのお土産に、と手渡された大判の色紙に書かれた書(何と書いてもらったかは忘れてしまった)を見せながら、熱く文字の意味を語り、さらに、母が趣味で作成していた押絵(おしえ:人物などの型に切った厚紙へ綿をのせ、その上から布で包んだパーツを組み合わせ、羽子板や色紙などに貼る日本の伝統的な手芸)も学校への記念品として紹介。割れんばかりの拍手喝采を浴びた時の、“にわかヒロイン”気分も記憶に残っている(苦笑)
なにしろ、私はこの学校と関わる史上初の日本人だったという事実は重い。
とにかく、日本・日本人というイメージを壊さぬように!という責任を、8カ月の間、自分に課し続けていた。
出勤初日、実際にM校講堂で開かれた全校集会でスピーチをする筆者。写真右側で見守るのは上司のKelly先生
私がケリーのアシスタントとして受け持つ学年は、Year 7~Year10 (中学1年生~高校1年生)の生徒たちだった。最初に参加した日本語の授業は、セカンダリー・スクールの最年少である、Year 7のクラスだった。
「Hi guys, today, I’d like to introduce Nao. She will be working with me as an assistant in your Japanese classes for the rest of the year. She’s come from Japan to join us. 今日はこれから、今年いっぱい、あなたたちの日本語クラスを私と一緒に担当してくれることになった、アシスタントのNaoを紹介するわ。今回、私たちのために、はるばる日本から来てくれたのよ。」というケリーからの紹介コメントの間、教科書で言葉だけを学ぶ国、JAPANからやって来た、見慣れぬ“外国人”を前に好奇の表情で固まる生徒たちの前で、棒立ちのまま、少々緊張交じりで一生懸命に微笑みをつくっていたことだけは、今でもはっきり、顔の筋肉が覚えている😅
当時のYear7の学習レベルがどの程度かは、まだ聞かされていなかったが、
「ミナサン、コンニチワ。ワタシハNaoデス。 ドウゾ、ヨロシクオネガイシマス」のカタカナ教科書日本語(というのだろうか?)に始まり、「I’ll be helping Ms. Lennon with your classes, and I hope we can have fun learning Japanese together! これから、レノン先生をお手伝いしながら、皆さんの日本語クラスへ参加できるのを楽しみにしています。」的な自己紹介をしたような記憶がうっすらとある。
アシスタントのはずが、教案担当!?
初日の午前中はケリーの授業を教室の後ろで見学。
初めての職場ランチは、学校が提携する近所のカフェからオーダーした、ヘルシーな野菜サンド(ケリーのお勧めでつられて注文したが、これが私的にヒット商品で、この後、平日ランチのラインナップとなった。)
コマの空いた午後の時間帯は、彼女と1対1で、集中的にこれから先の打ち合わせ。
ケリーは、ビクトリア州に隣接するSouth Australia州の州都、Adelaideアデレードの出身。大学在学中に日本語教育を含む、教員免許を取得したそう。
ただ、あれから30年近く経った未だに彼女の日本語レベルについては、全く知らないままである。スワンヒル駅での初対面の時から終始、私たちの会話は英語だけであった。
私は大学時代から教員を目指していたわけでもなく、もちろん教育実習の経験も皆無。唯一、メルボルンでの受け入れ団体主催の事前研修で、授業のアシスタントとしての立ち振る舞い方をザクっとかじっただけ。この場所では学生上がりの“お手伝いさん”である。
また、メルボルンでの事前研修の初めに、私たち参加者はあくまでも、アシスタントであり、主任として授業そのものを担当するということではなく、各自担当教員の方々が授業中に行う発音の練習や読み書きなどのサポート、あとはそれぞれが日本から持ち寄った、得意分野での日本文化の紹介活動だけを行うこと、という活動期間中の原則を聞かされていた。
そんな理解だった私に開口一番、ケリーから発せられた言葉は、「(もちろん英語で)午前中の私の授業で、進行の仕方や生徒たちへの接し方を見てもらったのだけれど、あなただったら、どんなことを改善すればいいかしら?」
これに対して私からは、「うーん・・・もちろん私はクラスの授業など行った経験はないし、先生がこれまで行われてきた日本語の授業というのは、こういうものなのだという、全体の雰囲気をまず把握させていただいた、という段階なので、特に改善という部分はないと思うのだけれど、例えば、ネイティブである私が次回参加の段階から、教科書音読や単語の発音練習、ロールプレイなどをお手伝いさせてもらったりとかでしょうか?あ、そうだ。あとは、私、今回日本から書道の道具をもってきたので、Japanese calligraphyの体験コーナーもいいかもしれませんね。」と気楽に返した私にケリーは、
「Fantastic !! すばらしいアイデアをありがとう!それじゃ、今、あなたが話してくれたアイデアも取り入れながら、明日からの授業進行の教案を練っておいてちょうだい。スクリプトができたら一旦私が内容をチェックするから。いいわね!」
・・・え???教案って、担当の先生のお仕事なのでは???
疑問を問う間もなく、私にどっさり手渡されたのは、4学年分のぶ厚い教科書の束だった。
まるで想定外の展開に頭の中がごちゃごちゃになりながらケリーの運転で送られモーガン家に帰宅した私。
マリアンヌから、「初日のBig Day、おつかれさま!今日はどうだった?」と問われ、「うん、先生方や生徒たちともご挨拶ができたし、ケリーの授業も見学させてもらって勉強になったし、とにもかくにも、ママとパパから原稿チェックをしてもらったおかげで、全校集会でのスピーチは大成功だった。本当にありがとう!」と平静を装い明るく返した私を、「Good job, dear! よくやったわ!」とハグしてくれたマリアンヌには本当に感謝。
しかしながら現実はそう甘くはない。初日の晩から、いきなり連日のように、ほぼ徹夜作業に追われることとなった私・・・
“ブラック企業”という概念こそなかったこの時代だが、今思い出せば、まさしくそれに当てはまるだろう😭
さらにこの後、衝撃の展開に巻き込まれていく事になるとは、この時つゆほども知らない私であった。
(次回も悲喜こもごもなスワンヒルでの暮らしは続きます。)
**ベジマイト(Vegemite)とは、酵母エキスを原料としたオーストラリア定番の黒いペースト。塩気と独特の風味が強く、バターを塗ったトーストなどに薄くのばして食べる。
