【第7話】 5つの家族が待つ町、スワンヒルへ ~「今日からここが、あなたの家よ」~

ひとり、スワンヒル行きの列車へ

1997年4月25日、メルボルンで研修仲間たちとの感動的な別れからわずか数十分後、トランク一つと大正琴のキャリーケースを抱えた私はひとり、Swan Hill行の特急に乗り込んだ。

列車はSpencer Street駅(現在のSouthern Cross駅)のホームをそろそろと滑り出し、スカスカに空いた静かな車内でコンパートメントを陣取ってホッとひと息。

車窓に広がる景色から、Cityの高層ビル群が徐々に消え去り、やがてひたすら広大な草原の中に出た。不思議と緊張していた記憶はないので、おそらく、あまり深いことまでは考えず、とにかくまずは全て、現地に着いてから・・・そんな心境だったのかなと思う。

ただただ、ひたすらボーっと窓外の景色に見入っていた記憶しかない。

メルボルンを発ってから3時間近く、ひたすら大草原を走り抜けた特急列車の窓の外は、牧歌的な田舎町の景色に切り替わった。

趣のある古びた赤レンガ造りの店舗や、教会の鐘楼などがぽつぽつと目に入ると、日本で子供時代から見ていた、ハリウッド映画の世界観を思い出して感無量だった。

最初の“ママ”と、未来の上司

やがて列車は、眩しいほどの西日が差し込む、赤レンガ建てのホームへ静かに滑り込んだ。

壁のプレートには”Swan Hill”の文字が。到着だ!

メルボルンを発つときに受入れ団体マネージャーのマギー Maggieから、ホストファミリーが到着先の駅で出迎えてくださると聞いていたが。徐々にスピードを落とす列車の窓から、やや緊張した表情で無人のホームに立つ、二人の女性の姿が見えた。

きっとあの人たちだ!一人は栗色のボブヘアで華奢な40代はじめぐらいの方、もう一人は20代後半~30代はじめ??ぐらいの金髪ショートヘアの大柄な若い方。タイプこそ違いそうだが、お二人とも、こちらがちょっと気後れしてしまいそうな、落ち着いた知的な感じの美人だった。
大きく深呼吸し、プシューーー!と空いた列車からホームへ降り立つ私のもとへ、その二人の女性が駆け寄り、40代ぐらいの女性が「あなたがNaoね、よく来てくれたわ。スワンヒルへようこそ! Welcome to Swan Hill!」と、これまたいきなりハグ&チークキス(笑)。

「We talked on the phone when you were in Melbourne, remember? I’m Maryanne—your first mum here! あなたがメルボルン滞在中にも、電話でお話しできたわよね。私があなたのここでの最初の”ママ”、マリアンヌよ」

自然体で、心から嬉しそうに語りかけてくれる彼女からは、快活で優しいママのオーラが全開、そんな雰囲気に”当たりくじ”を確信した私の心は晴れ晴れしていた(笑) また、メルボルンでの3週間の特訓の成果だろう(苦笑)、この時の私は彼女の独特の早口英語も難なく聞き取れていた。

そして若い女性の方は、シュッとしたお堅い雰囲気を崩さぬまま、唐突にカタカナ日本語(というのだろうか?)で、

「ハジメマシテ、ワタシハKellyデス。」と握手。「You’ll be working with me and helping with my Japanese classes. これから私と組んで、あなたにはいろいろと私の日本語の授業をお手伝いしてもらうわ。」

彼女の名はKelly Lennon ケリー・レノン。これから8カ月の活動拠点となるセカンダリー・スクール Secondary School (日本の中学校と高校を合わせたような学校。

ビクトリア州では通常、Year 7(中学1年相当)からYear 12(高校3年相当)までの生徒が通う)での、いわば私の上司となる方と分かり、私も少々緊張気味に

「はじめまして、ケリーさん。Naoです。 I’ll have a lot to learn from you, but I’ll do my best to help in any way I can. こちらこそ、いろいろと教わることになりますけど、自分にできる精一杯のお手伝いができればと思います。」と日英交じりにご挨拶。

ただ、マリアンヌとは逆に、この時のケリーとのやり取りには、どことないぎこちなさと緊張感が漂っていたのを、今でもうっすら覚えている。

子供の頃からそうだったが、自分とあまり相性のよろしくない系の人物との対面で感じ取る、なんだかよく分からないザワつき、とでもいうのだろうか。この予感めいたものが、当たりませんように・・・と心のどこかで願っていた自分もいた。

「今日からここが、あなたの家よ」

そんなホームでの緩急交じりなやり取りもそこそこに、早速迎えの車に乗り込み、スワンヒルで最初の私の家となる、Morgan モーガン家へ向かった。

「さぁ、Nao、今日からここがあなたのお家よ!」

まずはこれから最初の6週間をお世話になる、1軒目のホストファミリー宅へいよいよ到着。
マリアンヌが颯爽とハンドルを握る車は、ゲートらしき門柱の間をくぐると、赤レンガ平屋建ての、シンプルだがどこかのペンションかと見まごう豪邸横のガレージで止まった。家だけでも驚きだが、玄関先から、ちらりと視界に入った、その奥には・・・

12エーカーの新しいわが家

マリアンヌとは、日本での出発準備中から、すでにエアメールで2度ほどやり取りはしていたものの、手紙で数字だけを目にする”12エーカー(約4.9ヘクタール)”という面積を実際に目の当たりにした私は、驚きを越して目が点になった。東京ドームがまるっと一個収まってしまう広さの牧場を所有していたのである。

見る場所全てに目を丸くし、アホウみたいにポカンと口を半開き(おそらくそんな感じだった…) にしたまま通されたのは、私の自室となる寝室。ありがたくも、息子さんの部屋を一室提供していただいたのだった。

荷物を置き、広々したリビング・ダイニングで、マリアンヌとケリーと一緒に紅茶とクッキーをいただきながら、ホッとひと息。
「Nao、足りないものがあったり、不便に感じることがあれば、いつでも教えてちょうだいね。いい?遠慮しちゃダメよ!」ホストマザーのマリアンヌがこまごまと気遣ってくださり、こちらはもう恐縮至極 🙇‍♀️

モーガン家のパパと3人の息子たち

少し経って、玄関先に厳ついランドクルーザーが止まり、山のような買い物荷物を抱えた、これまた厳つい男性陣がドヤドヤと邸内へ入ってきた。
マリアンヌのご主人で私のホストファーザーである、ジェラルド Jeraldと長男のダニエルDaniel、次男のブレット Brett、末っ子のジャロッド Jarod のご帰還である。
私の実家は妹が一人の女きょうだいだけ、しかも小学生のころから公務員であった父が定年を迎えるまでの長きにわたって単身赴任でほぼ不在、大人になるまで母と私たち姉妹という女所帯での暮らしであっただけに、ひとつ屋根の下に父親はともかく、若い年頃の男の子(しかもイケメンぞろいで3人も!)がいる暮らしという未知の世界に、最初の数日は何とも落ち着かず、今の私ならば、「お~お~、めんこい坊ちゃんどもよのう」となるのだろうが、当時大卒後間もない小娘の私は、家の中で彼らと顔を合わせるたび、変にドギマギしてしまったものだ。

パパのジェラルドは、ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダース氏を想わせる、恰幅の良い44歳。スワンヒルで代々続く名家の家柄の出であり、町で理学療法センターを経営し、地元でよく知られた理学療法士として活躍する一方、自宅では牧場も営む、まさに二足のわらじを履く実業家。きびきびとした、ママのマリアンヌとは正反対の、どっしり落ち着いた穏やかな方だった。

リビングのピアノの上に飾られたご夫妻の結婚式の写真での若かりし頃の姿を拝見すると、やはりかなりのイケメンだった。

「Nao、よく来てくれたね。今日からマリアンヌと僕を本当の親だと思ってもらえたら嬉しいな。」穏やかな言葉とともに差し出された、握手の大きな手のあたたかさは今でも鮮明に覚えている。

一方、ママのマリアンヌ(当時43歳)は、町の不動産会社の営業課長としてバリバリ働くキャリアウーマン。夫妻揃って、それぞれのキャリア分野で度々地元紙の表紙を飾るほどの、今でいうパワーカップルであった。

Swan Hill 到着の日。Morgan家のリビングで、日本土産の浮世絵Tシャツと紙風船に大喜びのパパ Jeraldと末っ子のJarod

長男のダニエルは当時大学2年生。父親譲りのどっしり落ち着いた20歳の好青年。

私が拝借していた寝室は、彼の部屋だったが、本人は既に実家を出て隣町の大学近隣のフラットで友人と共同生活をしていた。「ちょっと、汚れてるかもしれないけど、あんまり気にしないで自由に(部屋を)使って(笑)」と少しはにかんだ人懐っこい笑顔で話してくれたものだ。

次男のブレット(当時18歳)は、私の研修先となった学校の12年生(高校3年生)。授業の受け持ちはしなかったが、二つ違いの兄と比べてちょっぴり繊細で物静かな子。私が持参した大正琴に最も興味を示し、かなり短期間で演奏をマスターしてしまった驚くべき音感の持ち主であった。

大正琴に興味津々のMorgan家の次男 Brett。ギターが趣味の彼はまたたく間に演奏をマスター!

三男のジャロッド(当時14歳)は、忘れもしない、私が日本語の授業を受け持った生徒のひとりで、聞き分けの良いおりこうさん。

授業のやり取りでも彼に助けられた思い出は多く、学校ではわりとおとなしい印象だったが、家の中では3人兄弟の中でも一番のやんちゃ坊主。そんな末っ子が、マリアンヌもジェラルドも可愛くて仕方がない、そんな親子の様子を微笑ましく眺めていたこともしょっちゅう。

 

とある週末の晩。生まれて初めての巻き寿司づくりにワクワクの3兄弟。左端の女性はこの日、Morgan家に遊びにやって来た、”上司”のKelly

もちろん、筆者のご指南で。それにしても、若かった 😅

5つの家族が全員集合の歓迎会

その日の晩、早速、私の歓迎パーティーが開かれた。

この後、2軒目~5軒目までの他4件の次期ホストファミリー全員とケリーが加わり、広大な牧場を望むMorgan邸のバックヤードは、一大フェスティバルの会場と化していた(笑)

この時に、初めて顔を合わせた次のファミリーの皆さん。嬉しいことに、どの方々も、陽気で朗らか。人としての大らかさとあたたかさがあったが、彼らのご紹介は、改めて後述に譲ろう。

バーベキューのグリルの上では、大ぶりな羊肉から濛々と煙が立ち込め、辺りいっぱいに、いい匂いが充満していた。隣りのお宅まで、ようやく車で10分という環境、近所迷惑という心配は皆無である。

ジェラルドお手製のグレービーソースの美味しさは今も忘れられない。
150グラム程度のスモールポーションを片付けるのがようやくの私だったが、テーブルの目の前で一人500グラムはあろうかという巨大な肉の塊と勇猛に闘い、デザートのバナナ・スプリットをペロリと平らげる育ちざかりの男衆の食欲に仰天し、「若い男の子って、こんなに食べるんだ・・・」と言葉を失った私の衝撃たるや 😅

今現在、高校生となった二人の甥っ子のすさまじい食欲旺盛ぶりを目にしてもほぼ驚かない私の免疫(??)は、この時の経験の賜物であろう。

そして、ディナーの都度、Morganご夫妻が「Nao、ワインは?」と勧めてくださるのだが、この時の私はビール派。正直、ワインがあまり得意ではなく、一口飲んでも美味しいと感じることができず、ひたすら水かジュースがお供だった記憶がある。

ワイン大国オーストラリアくんだりまでやって来ておきながら、今思えば、惜しいことをした。
金曜日、ちょうど週末の入り口であり、新天地、スワンヒルでの幕開けは、メルボルン到着の日と同じく、楽しく、心あたたまるものであった。

(次回第8話は、いよいよセカンダリー・スクールで、怒涛の活動開始!)

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