「あなたの授業は、とても退屈」
それからというもの、授業が終わるたびに、ケリーによるマンツーマン指導の日々は続いた。
授業中の説明の仕方、生徒への声のかけ方、教室全体への目配り。その一つひとつについて改善点を指摘され、帰宅後は、翌日の授業に向けて新しい教案を練る。連日、睡眠時間を削りながら、慣れない英語と格闘した。
気力も体力も、よくあれだけ持ちこたえられたものだと思う。ひとえに、怖いもの知らずの若さゆえであったのだろう。
体力的な疲れもさることながら、心のほうは、かなりすり減っていた。
特にこたえたのが、活動を始めたばかりのころに浴びせられた、ケリーからのダメ出しメドレーである。
あるときなど、授業を終えた私に向かって、彼女は唐突にこう言い放った。
「ここ数日見ていて思うんだけど、あなたの授業は、とても退屈だわ」
おそらく彼女としては、私の成長を願っての率直な指摘だったのだろう。
しかし、連日の寝不足と緊張で心身ともに余裕を失っていた私にとって、その言葉は、もはや凶器でしかなかった。
脳天にグサリと突き刺さるような、あのイタい感覚。
何十年たった今でも、思い返すだけで、どっと疲れる。
スワンヒルでの暮らしそのものには、少しずつ慣れてきていた。それでも、連日の寝不足による疲れ、ケリーに対する気遣いと苦手意識、そして授業への猛烈なプレッシャーに押し潰され、私の自己肯定感は日に日に薄らいでいった。
ふと、まったく笑わない日が多くなっていることに気づいた。
ある晩、帰宅後の自室で教案ノートを開きながら、ホロリと涙をこぼしたこともある。
このころに撮られた写真を見ると、どれも無理に口角を上げたような、ひきつった作り笑いがやたらと多い。
M校での活動開始から2週間目頃、先輩教師たちとの懇親ディナーに参加。ケリーのスパルタ指導真っ只中のつらい時期であり、ムリした作り笑いを浮かべているのがよくわかる一枚。左から3人目、椅子でなく、遠慮がちにしゃがんでいる筆者 😒
張り詰めていた糸が切れた日
そんなしんどい日々が続いていた、ある日のこと。
その日は、8年生のクラスで新しいロールプレイを導入することになっていた。たまたまケリーは別の授業があり、教室には私一人だった。
私がロールプレイの進め方を説明していると、前列に座っていた女子生徒数人が、申し合わせたように顔を見合わせた。
そして、私が口にした英語のフレーズを小声で真似しながら、クスクスと笑い始めたのである。
何をどう言い間違えたのか、今となっては覚えていない。言い回しがおかしかったのか、イントネーションが不自然だったのか。
「箸が転んでも可笑しい」年頃の彼女たちに、そこまで悪気はなかったのだろう。
しかし、そのときの私には、それを冗談として受け流す余裕など、微塵もなかった。
私はつかつかと彼女たちの席へ近づき、躊躇なく言い放った。
「私の英語の言い回しが変なのは分かっている。でも、私はあなたたちのように、生まれたときから英語で育ったわけじゃない!」
子どもたちを相手に、そう声を荒らげてしまった。
今の私なら、「そうそう、私の英語、ちょっと変だったでしょう?」と、からかい返して、ついでに教室の笑いを取るくらいはできるかもしれない。
けれど、大卒上がりでろくな社会人経験もなかった当時の私には、そんな大らかさも、心の余裕もなかった。
ケリーとの張り詰めた師弟関係からくるストレスは、すでに限界に近づいていた。授業のたびに神経をとがらせ、かろうじて保っていた心の糸が、その瞬間、ブチッと切れてしまったのだ。
子ども相手にムキになったことは、大人げなかったと思う。
それでも、その出来事を境に、私は一つの開き直りにたどり着いた。
――そもそも、私は正規の教師でもなんでもない。
はるばる海を越え、日本語のネイティブ話者として、自分にできることを伝えに来た、いわば文化交流大使のようなものではないか。
完璧な英語など話せなくても、日本語と日本文化については、私にしか伝えられないことがある。
だったら、もっと自信を持っていいはずだ!
そう考えることに決めた。
上級生たちに救われて
生来の負けず嫌いも手伝い、活動開始から2か月が過ぎようとするころには、ケリーからのダメ出しにも、
――ああ、またかい・・・ 😑
と、心の中でほどほどに受け流せるようになっていた。
授業にも少しずつ慣れ、生徒たちの反応を見ながら、教案ノートとにらめっこをしなくても、ある程度の余裕を持って進められるようになっていた。
そんな私を救ってくれたのが、9年生や10年生の上級生たちだった。
やんちゃ盛りの年少組とは違い、こちらが何も言わなくても、目の前にいる相手の状況や心境をくみ取り、尊重し、自分たちから動いてくれる。
宿題を出したわけでもないのに、
「ねえNao、昨日教えてもらった新しいフレーズを使って、日本語で日記を書いてみたから、見てみて!」
とノートを差し出してくる生徒もいた。
「今度の授業では、僕たち、英語に頼らずに、日本語だけを使ってみたいんだ!」
と、自分たちから目標を立てる生徒たちもいた。
その自発性100パーセントの学ぶ姿勢には、感心させられることばかり。
15、16歳ともなると、こんなにも大人になるものなのか。
授業だけでなく、彼らと接するたびに、むしろ私のほうが教わることが多かった。10歳近く年下とは思えないほど、しっかり者ぞろいである。
あるとき、あのケリーでさえ、少しいたずらっぽい表情を浮かべて、私に耳打ちした。
「ね、たった1、2年の違いなのに、年少組の“naughty”どもとは、えらい違いでしょう? 実は私も、上級生のこの子たちには、とても助けられているの」
naughtyとは、「いたずら好きな」「言うことを聞かない」という意味である。
そんなことを口にして、またケリーに何か言われたらたまったものではない。私はそれまで、年少組に手を焼いていることを彼女には一切話せずにいた。
――へえ、この“鬼教官”も、私と同じことを思っていたんだ!😮
そう分かった瞬間、思わず肩の力が抜けた。
それを境にしたのかどうかは分からない。それでも、そのころから私は、ケリーと少しずつ、過度に遠慮することなく、対等に話せるようになっていった気がする。
もう一人のケリー
ある日の9年生の授業で、新しいフレーズを導入した。
生徒たちが意味を理解したところで、まずは教科書の例文を音読してもらうことにした。
「Me, me! はーい、私! 僕!」
積極的に手を挙げた生徒たちが、次々と立ち上がり、流暢に例文を読んでいく。
そんななか、まだ一度も指名されていない女子生徒が一人いた。
「じゃあ、次は……そうだ、ケリーはまだだったよね。はい、どうぞ!」
くしくも、私のスパルタ師匠と同じ名前である。
しかし、性格は正反対。少し引っ込み思案で、とてもおとなしい女の子だった。
以来、私は心の中で彼女を「ケリーJr.」と呼ぶことにした。
ケリーJr.は、おずおずと椅子から立ち上がった。顔を赤らめ、自信なさげに、ずっとうつむいている。
私はとっさに彼女の隣へ行き、声をかけた。
「新しいフレーズだから、発音しづらいかもしれないね。私の後に続いて、一緒にトライしてみようか!」
彼女は覚悟を決めたように、小さくうなずいた。
そして、私と一緒に、例文の音読に挑戦した。
ところが、意外や意外。
発音の正確さも、文章の間の取り方も、その日一番上手だったのは、ケリーJr.だったのである。
「はい、おつかれさま! ケリー、こんなに上手に読めるじゃない。顔を見ずに声だけ聞いていたら、日本人かと思っちゃったよ」
その瞬間、教室中から、クラスメートたちの大きな拍手が湧き起こった。
ケリーJr.の表情が、みるみるうちに明るくなっていく。
「うん……。苦手だと思って怖かった音読が、私、できた! もう、これからは大丈夫!」
教室の後ろで様子を見守っていたケリー師匠も、嬉しそうに何度もうなずきながら、大きな拍手を送っていた。
あのときのケリーJr.の、心から嬉しそうな笑顔は、今でも脳裏に焼きついている。
それまで、音読やロールプレイの時間になると、身を隠すようにうつむき、小さくなっていた内気な女の子。
その彼女は、この日を境に、見違えるような成長を遂げていった。
初めてもらった、ケリーからの褒め言葉
授業が終わったあと、ケリーが私に言った。
「あの子は、とても引っ込み思案だったのよ。日本語のネイティブではない私がいくら励ましても、いまひとつ説得力がなくて、それが悩みだったの。Nao、今日はよくやったわ!」
ケリーから初めて、はっきりと褒めてもらった。
スワンヒルへ来て、およそ2か月。
ようやく一つ、大きな壁を乗り越えられた瞬間だった。
本当なら、その場でガッツポーズをしたいくらい嬉しかった。それでも、その衝動を懸命に抑え、私はできるだけ控えめに答えた。
「いや、あのときは、ただ“助けなきゃ”という思いが先に立っていて。そのあとは全部、彼女自身が自分の力で変わってくれたことが、私は嬉しい」
自信を失いかけていた私が、引っ込み思案の生徒に、ほんの少しだけ自信を与えることができた。
けれども、あの日、本当に救われたのは、私のほうだったのかもしれない。
1997年の教室がつくった、今の私
人生とは、不思議なものである。
2026年の今、私はフィリピンの職場で、当時の教え子たちよりも、はるかに若いローカルスタッフを部下に持っている。
会議や打ち合わせでは、業務の内容や手順を英語で説明し、ときには人前でプレゼンテーションも行う。スタッフへのコーチングや採用面接も、日常的に英語でこなしている。
今では、あらかじめ要点を整理しておけば、ほとんど言葉に詰まることなく話せるようになった。
つい先週の日本本社への出張では、同行したフィリピン人経理マネージャーの引率役でもあったため、1週間日本に居ながら日常会話は全て英語漬け。だが気心の知れた彼女との滞在は楽しく、全く苦にならなかった。
相手の表情を見て、説明が十分に伝わっていないと感じれば、すぐに別の言葉へ置き換える。具体例を挙げたり、説明する順番を変えたりしながら、相手が理解できるまで伝えることもできる。
1997年、スワンヒルの教室で、教案ノートを握りしめながら必死に次の英単語を探していた私は、今の自分の姿など、つゆほども想像していなかった。
もちろん、ある日突然、英語でよどみなく説明できるようになったわけではない。
教室で言葉に詰まり、失敗し、それでも生徒たちの前に立ち続けたこと。
生徒たちの表情を見ながら、どうすれば伝わるのかを必死に考えたこと。
その一つひとつの経験を、長い年月をかけて、コツコツと積み重ねてきたからにほかならない。
今、若いフィリピン人ローカルスタッフたちと、和気あいあいと日々を送っている私。その土台をつくったのは間違いなく、あのころの教室で悪戦苦闘していた私自身だ。
あのときの大変な思いは、何一つ無駄になっていない。
今なら、当時の自分に、
――よく逃げ出さず、毎日、立ち続けたね。
そう、労いの言葉をかけてあげたい。
鬼教官、衝撃の年齢発覚
さて、話を1997年に戻そう。
M校での活動が2か月目に差しかかった、ある朝のこと。
職員室での朝礼が終わろうとしていたとき、一人の女性教師が、大きな花束と、これまた大きなケーキをワゴンに載せて運び込んできた。
「Happy Birthday, Kel!」
Kel――ケルとは、ケリーの愛称である。
そのメッセージを合図に、職員室はたちまち、
「Happy Birthday to You~♪」
の大合唱に包まれた。
「Make a wish, Kel! ケル、お願いごとをして!」
そう声をかけられると、ケリーは目を閉じて願いごとをし、ケーキの上に立てられたローソクの火を勢いよく吹き消した。
ローソクは、3本立てられていた。
まさか30歳ということではないだろう。では、いったい何歳なのか。
「失礼だけど、ケリー、何歳になったの?」
そう尋ねようかどうか迷っていた私に向かって、彼女は笑顔で言った。
「私、今日で23歳になったの!」
えっ……。
ということは……。
あなた、私より1歳年下だったんか~~~い!
人を見た目で判断してはいけない。
そんなことは、人並みにちゃんと分かっている。
しかし、である。
スワンヒル駅で初めて会ったあの日から、私は彼女のことを、自分より少なくとも3、4歳は年上だと信じて疑わなかった。
まさか、お姉さんは私のほうだったとは・・・衝撃の事実。
何はともあれ――。
1歳年下の鬼教官、ケリー先生に、乾杯!🍾

