外国語アシスタント仲間、セレーナとの出会い
オーストラリアへ渡るまで、私はこの国に対して、白人を中心とした、いわゆる欧米社会という漠然としたイメージを抱いていた。
しかし、実際に暮らしてみると、その印象は大きく変わった。
メルボルンでのホームステイ先は、トルコ系移民の家庭だった。町には中国系やベトナム系をはじめ、世界各地にルーツを持つ人々が暮らしていた。
オーストラリアが、さまざまな国からの移民によって形づくられた多民族国家であることは、私にとって意外であり、新鮮な発見でもあった。
そんな経験の一つとして、今でも鮮明に覚えている出会いがある。
M校で唯一のアジア人
田舎町のスワンヒルにも、ごく少数ながら、中国系をはじめとするアジア系の人々が暮らしていた。
しかし、当時のM校で、アジア人の職員は私一人。
見た目の違いもあったのだろう。一部の職員や生徒たちから、まるで宇宙人でも見るかのような、好奇の視線を向けられたこともある。
露骨に何かを言われたわけではない。それでも、周囲の視線を意識するあまり、肩身の狭い思いをしたことは事実だった。
ある日の全校集会では、私のすぐ後ろの席に座っていた、11年生の女子たちが、「わーー、ほんとに真っ黒でストレートな髪!ねぇねぇ、Nao、ちょっと触らせて!キャーxxxxx」
気分はすっかり、遊星からの物体X エックスであった 😅
メルボルンに初めて到着した日、タラマリン空港からの送迎車の中で、受け入れ団体スタッフのスージーから言われた言葉を思い出す。
――Naoもここでは、「外人さん」なのよ。
私はまさに、人生で初めて「自分が外国人であること」を、否応なく意識させられる経験の真っただ中にいた。
一方、スワンヒルには、イタリアにルーツを持つ人々も多く、当時から一定規模のコミュニティーが形成されていた。
そうした土地柄もあってだろうか。M校では、日本語のほかにイタリア語も、大学進学資格課程まで続く外国語科目として教えられていた。
そして、私と同じ時期に、一人のイタリア語アシスタントがやって来ていた。
ここでは、彼女を「セレーナ Serena」と呼ぶことにしよう。
ザ・ヨーロピアン、セレーナ
セレーナは、スレンダーな体型に漆黒のウェーブヘア、浅黒い肌と彫りの深い面差しを持つ女性だった。
イタリア語なまりの独特な発音ではあったものの、英語もそつなくこなす。その洗練された姿は、学生時代に海外旅行雑誌などで目にしていた、まぎれもない「ザ・ヨーロピアン」だった。
うまく表現しきれないのだが、彼女が醸し出す雰囲気は、周囲のローカル・オーストラリア人とは、どこか一線を画していた。
M校への着任初日、ケリーから、同僚であるイタリア語教師のダイアン Dianeを紹介された。同時に、そのアシスタントとして働くセレーナとも引き合わされ、それをきっかけにお近づきとなった。
ピリピリと張り詰めた師弟ムード満載の私たち日本語組とは対照的に、ダイアンとセレーナの間には、どこかゆったりとした空気が流れていた。
教師とアシスタントという立場の違いはあっても、二人は寛容な大人同士として、対等に接しているように見えた。
それが私には、とてつもなく羨ましかった。
ダイアンのイタリア語が大変流暢だったことも、二人の良好な関係に一役買っていたのだと思う。セレーナも、自分の言葉をよく理解してくれるダイアンに対し、安心して接することができたのだろう。
また、セレーナは、同じヨーロッパにルーツを持つ者として、オーストラリア人の職員たちの中にも、ごく自然になじんでいるように見えた。
私のように、見た目の違いだけで好奇の視線を集めることもない。
そのこともまた、私には羨ましく思えた。
ケリーからのダメ出しオンパレードが続く、つらい日々の真っただ中。
私はイタリア語クラスの様子を見る機会など一度もなかった。それなのに、
――きっと、あの二人は毎日うまくコンビを組み、スマートに授業をこなしているに違いない。
そんなふうに勝手に想像しては、自分と比べ、さらに塞ぎ込んでいた。
「今は昼休みよ」
ある日の昼休みのことだった。
私は職員室の机に向かい、教案ノートとにらめっこをしながら、一人で悶々としていた。
そのとき、誰かが私の肩をポンと叩いた。
「ねえNao、よかったら、近くのお店まで一緒にランチを買いに行かない?」
“Hey, Nao. If you like, we can go together to the shop nearby and buy some lunch.”
明らかに英語のネイティブではない、独特な響きの声。
振り向くと、そこに立っていたのはセレーナだった。
「今は昼休みよ。休めるときには、ちゃんと休まなきゃ!」
“It’s lunchtime now. You need to take a break when you can!”
久しぶりにかけてもらった、フレンドリーで優しい言葉だった。
着任初日から緊張の連続だった私は、その瞬間、ふっと心が緩んだ。溢れそうになる涙をぐっとこらえながら、努めて元気に答えた。
「そうだよね! 私もお腹がすいちゃって。行こう、行こう!」
“Yeah, you’re right! I’m hungry, too. Let’s go!”
初めて打ち明けた本音
秋の昼どき。
優しい日差しを浴びた校庭の緑の芝生が、まぶしいほど鮮やかだった。
近くの店で、私たちは同じ野菜サンドイッチとアイスカフェラテを買った。それをお供に、セレーナと初めて、ゆっくりいろいろな話をした。
彼女もまた、私とは別の教員研修プログラムを通じ、1年間の契約で、故郷のシチリア島からオーストラリアへやって来たのだという。
「Naoはいつも忙しそうね。とても疲れているように見えたから、ずっと気になっていたのよ」
そんなセレーナの言葉を聞いた途端、私はつい、堰を切ったように話し始めてしまった。
M校へ来た初日から、気の休まる暇もなかったこと。
授業で思うように英語を使えず、自信を失いかけていること。
ケリーからのダメ出しを受けるたびに、自分はこの活動に向いていないのではないかと思ってしまうこと。
誰にも言えずにいた胸の内を、私は赤裸々にこぼした。
このようなグチめいた話は、ホストファミリーであるジェラルドやマリアンヌには、一切していなかった。
いや、むしろ二人の前では、余計な心配をかけまいと、私は必死に元気を装っていたのだ。
セレーナは、私の話を途中で遮ることなく聞いてくれた。
そして、すべての事情をのみ込んだように深くうなずいたあと、おおむね次のようなことを話してくれた。
「その気持ち、分かるわ。私も、ここではいつも異邦者のように感じているの。故郷のビーチが恋しくなることもしょっちゅうよ」
“I know how you feel. I always feel like a stranger here, too. I often miss the beaches back home.”
そう言って、セレーナは少し笑った。
「でもNao、私たちが今回のインターンを最後までやり遂げたら、その先には、きっと新しい可能性の扉が開く。そう思わない?」
“But Nao, when we finish these internships, maybe new doors will open for both of us. Don’t you think?”
正確な言葉までは覚えていない。
それでも、彼女が私を励まそうとしてくれた、その思いだけは、今もはっきりと覚えている。
彼女もまた、異邦者だった
――次の可能性。
そうだ。
そもそも私がこの国へやって来た目的は、少しでも将来の就職につながるきっかけをつかむためだった。
ここでグズグズ悩んだり、泣いてばかりいたりするわけにはいかない。
そして、もう一つ、私は大切なことに気づいた。
洗練されたヨーロッパ人として、学校にもオーストラリア社会にも、何の苦労もなく溶け込んでいるように見えたセレーナ。
その彼女もまた、常に自分が外国人であることを感じ、故郷を恋しく思いながら暮らしていたのだ。
自分だけが孤独なのではなかった。
見た目も、育った国も、話す言葉も違う。
それでも、異国の地で暮らす二人の異邦者として、私たちは同じような寂しさや不安を抱えていた。
異国の地で始まった友情
初めて一緒にランチを食べたその日を境に、私とセレーナは一気に親しくなった。
私の活動期間が終了するその日まで、私たちはたびたび一緒にランチを食べ、ティータイムを過ごした。
ときには放課後、町のスポーツセンターにあったプールへ出かけ、二人で思いきり泳いだこともある。
日本語とイタリア語。
アジアとヨーロッパ。
まったく異なる国から、偶然、同じ時期にオーストラリアの小さな田舎町へやって来た、二人の外国語アシスタント。
共に外国人であるというだけで、不思議なほど分かり合えることがあった。
セレーナと過ごした初めてのランチタイムを境に、私の中には少しずつ、
――よし、やってやる!
という強気が芽生えていった。
彼女があの日、私の肩をポンと叩いてくれなければ、私はその後も一人で机に向かい、教案ノートを見つめながら、延々と塞ぎ込んでいたかもしれない。
スワンヒルへやって来て初めて訪れたサンデーマーケットで、1kgバケツ入りのハチミツにびっくり!セレーナとは、本当にいろんな時間を過ごしたなぁ・・・
29年後のセレーナへ
あれから、長い年月が過ぎた。
今、彼女はどこで、どのように暮らしているのだろう。
故郷のシチリア島へ戻ったのか。それとも、私と同じように、別の国で新しい人生を築いているのだろうか。
私たちが一緒に笑ったランチタイムや、放課後のプールで過ごした時間を、彼女も時折、思い出すことがあるのだろうか。
ご縁があるなら、いつかもう一度会ってみたい。
そして、あの日、机に向かって一人で塞ぎ込んでいた私に声をかけてくれたこと。
異邦者として抱えていた寂しさを分かち合い、前を向くきっかけをくれたこと。
あのときの友情への「ありがとう」を、きちんと彼女に伝えたい。
そんなことを、ふと思う今日この頃である。
(第12話へつづく)

