山形市友好代表団を迎えた、華やかな数日間が過ぎた直後のことだった。
6月も後半に入り、南半球のオーストラリアは本格的な冬を迎えていた。
朝、学校へ向かう途中の草木には白い霜が降り、吐く息も白い。日本を発ったときには春だったのに、季節を逆戻りするようにしてたどり着いたスワンヒルでは、凍えるような寒さが日ごとに増していた。
そんな頃、私はこの町へ来て初めての引っ越しをした。
4月末からお世話になってきたモーガン家を離れ、2軒目のホストファミリーのもとへ移る日がやって来たのだった。
モーガン家から、次の「我が家」へ
スワンヒルへ着いたばかりの私を、本当の娘のように迎え入れてくれたモーガン一家。
マリアンヌと過ごした穏やかな休日、ジェラルド&マリアンヌ夫妻と一緒に愛馬ジャックを応援したメルボルンへの旅、友人の正子さんを迎えたにぎやかな週末、そして5軒のホストファミリーが集まってくれたバースデー・パーティー。
振り返れば、わずかな期間とは思えないほど、たくさんの思い出が詰まっていた。
その家を離れるのだから、寂しくないはずはない。
けれども、これは永遠の別れではなかった。モーガン夫妻は同じ町で暮らしており、これからも何かと私を気にかけてくれる。
さらに、誕生日会ですでに次のホストファミリーとも顔を合わせていたため、初めて会う人の家へ向かうような不安もなかった。
トランクと、日本から別送した大きな段ボール箱ひとつ。
オーストラリアでの生活道具を詰め込んだ荷物とともに、私はモーガン夫妻に送り届けられ、2軒目の「我が家」となるホプキンス家へ向かった。
明るい笑いの絶えない、5人家族
ホプキンス家は、ご両親と三人の子どもたちからなる5人家族だった。
ホストファーザーのローリーは47歳。町の地質調査官として働いていた。
ホストマザーのリビーは45歳で、私の活動先であるM校の数学教師。
長男のジョンは18歳で、M校の12年生。
長女のキャサリンは16歳の10年生で、外国語は日本語ではなくイタリア語を選択していた。
そして次女のブロンウィンは13歳の7年生。私が担当する日本語クラスの生徒のひとりだった。
学校では先生と生徒、家へ帰れば同じ家で暮らす家族。
初めのうちは、お互いに少々照れくさいような、不思議な感じがしたものである。
ジョンとキャサリンには、それぞれ1994年と1996年に、交換留学生として山形市を訪れた経験があった。
二人にとって私は、突然やって来た外国人というよりも、以前から親しみを感じていた日本から来た、新しい家族の一員だったのかもしれない。
もっとも、この一家に打ち解けるまで、それほど時間はかからなかった。
なにしろ、暇さえあれば誰かが冗談を飛ばし、それに別の誰かがすかさず突っ込みを入れる。
ローリーとリビーの会話は、さながら息の合った「めおと漫才」。そこへ三人の子どもたちの豪快な笑い声が加わる。
一緒に食卓を囲んでいるだけで、いつの間にか私まで、そのコントの一員にされてしまうような家庭だった。
1929年築、建築博物館のような邸宅
ホプキンス邸も、モーガン家に引けを取らないほど立派なものだった。
1929年に建てられたという、趣のあるコロニアル様式の家。
年月を重ねた重厚な造りや、ゆったりとした室内。家の中を歩くだけで、まるで建築博物館を見学しているような気分になった。
滞在中、私が使わせてもらったのは、長女キャサリンの部屋だった。
そこで何より目を奪われたのが、部屋の中央に鎮座する、巨大な天蓋付きベッドである。
日本でいう、いわゆる「お姫様ベッド」。
天蓋から布が優雅に垂れ、見た目だけなら、外国映画に出てくるプリンセスの寝室そのものだった。
ところが、このベッド、眺めているぶんには優雅なのだが、実際に寝るとなると、私には少々大きすぎた。
ホプキンス家は、全員そろって身長も横幅もある、実に堂々たる体格の一家だった。女の子たちも、ゆうに170センチ近くはあったと思う。
当然ながら、彼らの体格に合ったベッドの高さも半端ではない。
ひときわ小さな私は毎晩、「よっこらしょ」と、文字どおり、ベッドへよじ登らなければならなかった。
そして朝になれば、今度は少し覚悟を決めて地上へ飛び降りる。😅
お姫様というより、さながら高台の砦で暮らしているような気分である(笑)。
冷凍庫を開けて、「おおーっ!」
引っ越し初日、もうひとつ私を驚かせたものがあった。
ホプキンス家のキッチンには、普通の冷蔵庫のほかに、業務用かと思うほどの大型冷凍庫が設置されていた。
ふたを開けると、中には1キロサイズのバケツ入りアイスクリーム、大量に作り置きされたミートソース、バーベキュー用の巨大な牛肉や鶏肉の塊が、所狭しと並んでいた。
それを初めて目にした私は、思わず、「おおーっ!」と歓声を上げてしまった。
育ち盛りの子どもが三人いるうえ、全員が立派な体格の5人家族。この量にも、すぐさま納得した。
料理上手なリビーの得意料理は、ラザニアをはじめとするパスタ類だった。
たっぷりのミートソースとチーズを重ねて焼き上げた熱々のラザニアが食卓に運ばれてくると、それだけで皆の顔がほころぶ。
そこへローリーとリビーの掛け合いが始まり、子どもたちの「ガハハハ!」という大きな笑い声が響き渡る。
スマートで、落ち着いた空気のモーガン家とは、まったく違う雰囲気だった。
けれども、このにぎやかさが、私は初日からたまらなく好きになった。
勢ぞろいした2軒目のホストファミリー、ホプキンス一家との旅先での思い出ショット。後列左から長男・ジョン、筆者、ママのリビー、長女・キャサリン、前列左からパパのローリー、次女・ブロンウィン。いつも明るい笑いの絶えない、温かいパワフルファミリーでした!
学校にも家にもいてくれた、頼れる肝っ玉母ちゃん
ホストマザーのリビーがM校の教師だったことも、私には大きな安心材料だった。
学校で何か困ったことがあれば、事情をよく理解している彼女に相談できる。家へ帰れば、ホストマザーとして話を聞いてもらえる。
仕事と生活の両方を知る大人が身近にいてくれることが、どれほど心強かったことか。
間もなくケリーが学校を去り、私が日本語クラスの中心となって授業を進めることになる。その頃の私にとって、リビーは公私にわたり頼ることのできる、まさしく「肝っ玉母ちゃん」のような存在になっていった。
もちろん、数学教師である彼女が、日本語の授業内容を教えてくれるわけではない。
それでも、学校の仕組みや先生たちとの関わり方、生徒たちへの接し方など、迷ったときに気兼ねなく相談できる相手がいる。それだけで、心の重荷はずいぶん軽くなった。
家が変われば、新しい世界が始まる
スワンヒルへ来る前、8か月の滞在中に5軒もの家庭を移り住むと聞いたときには、少々落ち着かない生活になりそうだと不安に思っていた時期もある。ようやく慣れた頃に、また次の家へ・・・
家族の習慣も、食事も、会話のテンポも、一から覚え直さなければならない。
けれども、実際に最初の引っ越しを経験してみると、それは単に「住む場所が変わる」ことではなかった。
新しい家族と出会い、それまでとは違う暮らし方に触れ、自分の世界がもうひとつ広がっていくことだったのである。
穏やかで洗練されたモーガン家から、笑い声の絶えない、毎日がお祭りのようなホプキンス家へ。
お姫様ベッドへ毎晩よじ登り、大きな食卓を囲み、にぎやかな家族の会話に巻き込まれる日々が始まった。
そしてM校では、2学期の終業とともに、師匠ケリーとの別れが日一日と近づいていた。
新しい「我が家」で得た安心感を胸に、私はいよいよ、社会人人生最初の上司を送り出す日を迎えることになる。
(次回へ続く)

