我々一行を乗せたワンボックスカーは、空港からの道中、ひとり、またひとりと、
チームのメンバーをそれぞれのホストファミリー宅で下ろしていった。ひとりが車から降りる度、皆、戦地に向かう兵士のようなこわばった表情で、「それじゃ、みんな、またね!がんばろうね!」といって、家の中に消えていく。
今の私ならば、微笑ましく見守る光景だが、当時の私たちにとっては、慣れない異国到着と同時にいきなり、ホストファミリーだけの、ネイティブ英語ワールドへ容赦なく放り込まれていく、まさしく荒療治であった。
同乗者が私を含めて残り3~4人ほどになりかけたころ、「Nao、あなたの番よ!」と前出のスージー(Susie)にポンポン、と肩を叩かれ、はっ!と気づくと、車は閑静な住宅街の中のシンプルな一軒家の前に止まった。ワサワサと慌てて降車し、トランクの取っ手を握りしめた私の心境はすでに「まな板の上の鯉」。
「えーーーい、もう、ここまで来たからには、どうとでもなれ!!」の勢いである。
スージーがインターホンを鳴らすと、カチャリとドアが開き、「Hi ! So glad you’re here, Nao! Come in!(あなたがNaoね、ようこそ!さぁさぁ、どうぞ中へ入って!)」
現れたのは、お年の頃は40代後半ぐらい、亜麻色のショートヘアにつぶらな茶色の瞳、身長156cmの私とほぼ変わらない、小柄な女性だった。
彼女の名前はEmine(エミネ(仮名))。私にとって、この国で最初にお世話になるホストファミリーとのご対面だった。
エミネの飾らない気さくな人柄をすぐに感じ取った私は、張り付いたような緊張感も秒で吹き飛び、「Hello! Yeah, I’m Nao. Nice to meet you, too!」(思いっきり中学生の教科書英語・・・)のご挨拶で、いきなりハグ&チークキス(笑)
「じゃ、スージーさん、ありがとう!また月曜日にね!」玄関先で受入団体のメンバーと一旦お別れし、重たいはずのトランクを軽々引っ張り上げて、初めてのホストファミリー宅へおじゃました。
タイミング的に土曜日の到着。週明けからの事前研修を控え、まずは貴重な週末2日間で、この環境に慣れなくては。
荷物を下ろすと早々に、広々したリビングへ通され、「Nao、コーヒーとお茶、どっちがいい?」「あ、コーヒーをお願いします。」・・・と、間もなく出されたコーヒーは、それまで見たこともない姿形をしていた。
小さなデミタス・カップで運ばれてきたそれは、濃い泡が表面を覆い、その下には細かく挽かれたコーヒーの粉が沈んでいる。
不思議そうにカップを見つめる私に向かって、エミネは「さぁ、どうぞ。私の故郷のスタイルよ。 We are Turkish!(我が家はトルコ系移民なの)」
・・・なるほどね。明らかに白人ではない、どことなくアジアか中東っぽい彼女の風貌に納得した私。異国に到着したばかりの若い日本人娘にとって、一杯のコーヒーですら冒険であった。
初めてのターキッシュ・コーヒーは濃く、強く、少し圧倒される味。
カップの底に残る粉を不思議そうに眺めながら、私は「海外生活」という言葉の意味を初めて実感した気がした。
でも同時に、日本で知っていた世界よりもずっと広い世界に自分が足を踏み入れたのだと感じさせてくれた瞬間。
こうして回顧録を書いていると、不思議なことに忘れたはずの情景が次々によみがえってくる。あの日のターキッシュ・コーヒーの香りまで思い出せそうなほど鮮明に。
![]()
オーストラリアは、メルボルンやシドニーのような大都市部では、当時からすでに、ある程度の多人種エリアとなっていることは事前に調べていたが、それを象徴するかのような新天地でのスタートになったこと、しかもトルコ系移民のお宅で一カ月近くもお世話になれたという、今思い出しても非常に貴重な異文化体験ができたことは、私の人生の大事な宝物のひとつとなっている。
その日は週末だったこともあり、リビングには、エミネと彼女のお母さん(おばあちゃん)、3人の息子さんたちのうち、既に家を出ていた長男を除き、次男坊のMurat(仮名・ムラート)と末っ子のSedat(仮名・セダット)の4人で暮らしていた。
その中にいきなり異国人の年頃のお姉さんが約半月居候という構図である。
ただ、この一家は既に日本人を含む外国からの留学生など多数の受け入れ実績があり、私が初めての外国人ではなかったようだ。
彼らの初対面からのとりなしが、気後れすることもなく、ごく自然だったのは、だからだったのかと合点がいった。
おばあちゃんは完全にトルコ語オンリー、エミネはトルコ語なまりの強い独特の巻き舌イングリッシュ、息子たちはきれいなネイティブ・イングリッシュとトルコ語を上手に使い分け、その中に私のつたなすぎるジャパニーズ・イングリッシュ(・・・ということにさせてください)が入り交じり、家の中は言語のチャンポン。
慣れるまで頭が痛かった。
“オーストラリア=白人だらけのゴテゴテ英語圏”という私のイメージは、のっけから崩れ去ることになった。
その日の晩、私の歓迎会ということで、近所のトルコ系住人であるエミネのママ友さんたちが、お手製の料理が入った巨大な鍋やキャセロールを手に、エミネ家に大集合。
もちろん、料理上手な彼女のトルコ料理も加わり、締めのめちゃくちゃ甘いトルコのお菓子Baklava(バクラヴァ)には、あのターキッシュ・コーヒーが再び登場。そして何より、リビングのステレオから盛大に流れるトルコの民族音楽で場は大盛り上がり、みんな一斉に、踊る踊る(笑)
![]()
受入れ団体スタッフ、スーさんの日本語ワード「ガイジン」を巡るお説教に始まり、メルボルンにいるのかイスタンブールだかアンカラあたりにいるのか、さっぱり分からない、忘れられないオーストラリア初日の晩は、にぎやかに更けていった。
こうして私のオーストラリア生活は、思いもよらない形で幕を開けた。
オーストラリア到着の日。左からホストマザーのEmine、一人おいて末息子のSedat、おばあちゃん。
この時の私は、初めてにしては上出来♪ 異国での暮らしは、意外と何とかなりそうだ!とすら思っていた。
ただそれは、“週末” という名の、楽しみ絶好調のオブラートにくるまれた、土曜日の晩の話である。
翌週から始まる事前研修で、自分の英語力の現実を思い知らされるまで、あと二日・・・

